「レジェンドが生まれるところ」中村俊輔、歴史を作った左足の記憶https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/202003280016-spnavi
グラスゴー
日本サッカー史に刻まれる一本のフリーキックがある。
それはいまから12年前の秋のこと。
中村俊輔はセルティック・パークのピッチの上に立っていた。
舞台はチャンピオンズリーグ、彼の目の前にはマンチェスター・ユナイテッドの赤い壁があった。
左足から放たれたボールは美しい軌道を描き、のっぽのオランダ人ゴールキーパーが伸ばした手の先へと飛んでいく。
それはパーフェクトなフリーキックだった。
衝撃は煉瓦のスタンドを揺らし、緑の群衆を沸騰させ、街へと続くロンドン・ロードに並ぶ幾千のパブを熱狂で包んだ。
ゴードン・ストラカン監督はため息をついた。
「歴史だ。この夜のことを人々は忘れないだろう」
中村は2か月前、敵地オールド・トラッフォードでも低い弾道のフリーキックを決めていた。だがその夜の一撃は勝利をもたらし、セルティックを史上初の決勝トーナメントに導くゴールとなった。
それからずいぶんと時が経った2018年の夏、英国紙の短い一報を目にした。
8月のチャンピオンズリーグ予選を報じる記事で、新聞記者の落胆と諦めが伝わってくる、悲しげな文章だった。
セルティックは敗れた。チャンピオンズリーグはなし。そしてそれは、もはや驚きではなくなってしまった。
セルティックは予選でAEKアテネに敗れ大会出場を逃した。3季ぶりのことだ。あの華やかな舞台は今では遠い彼方の記憶になっている。
時は流れ、欧州で低迷期を過ごすセルティック。人々の心の奥に当時の記憶はどのように息づいているのか。12年後のグラスゴーを訪れた。
ある電気工の記憶 ――18年夏
イングラム・ストリートの濡れた路地に雲の隙間から光が射しこんでいた。
通り沿いにあるイタリア料理店『イタリアン・キッチン』の佇まいは変わっていなかった。中村が通っていた店だ。練習帰りにいつもの席に着くと、すぐに窯から湯気たつフォカッチャが差し出された。ミックスサラダと魚介のスパゲッティ。北の大地に移り住んでからも南イタリアの味は忘れられなかったのだろう。
経営者が代わったのか、いつも太陽の笑顔を見せてくれたナポリ出身の店主の姿はなく、店員がつまらなそうに応対していた。彼がこの街を去ってから、もうすぐ10年が経とうとしている。
セルティック・パークへと続く長い通り、ギャロウゲートには緑色のパブが並んでいた。店の軒先では緑色の旗やアイルランド国旗が風になびいていて、頑丈なドアが外敵の侵入を防ぐみたいに固く閉じられている。
集合住宅を越えて進むとセルティック・パークにたどり着く。愛称はパラダイス。グレーの空の下に佇む巨大な建造物、その景色はあまり天国のものには見えない。かつては荒れたコンクリートの駐車場だった場所はきれいに舗装されていた。
中年のファンがいた。名はガリー、元電気工だという。
「シュンスケ・ナカムラ。我々のスターだ。まちがいなく彼はこのクラブで伝説を築いた。もちろんあのフリーキックは覚えているよ。セルティック・パークで決めたものも、オールド・トラッフォードの一発も、この目で見たから」
電気工の仕事は数年前にやめた。首の左側を負傷し、十分に仕事ができなくなったという。シャツを開くと一本の傷が見えた。
「特にすることがないときはここに来る。スタジアムを眺める。いろんな思い出がよみがえる。それとともに生きているようなものだ」
見せたいものがあるんだ、彼はそう言って来訪者を案内してくれる。ジミー・ジョンストンの銅像。彼はクラブの創設者についての歴史を語った。1967年にチャンピオンズカップを獲ったリスボン・ライオンズの偉大さも。
「ナカに会うことがあれば伝えてくれ。ありがとう、いまでもユーチューブで見てる、と。テレビ番組でボールをバスの窓枠に入れたキック、あれは見事だった」
別れを告げ、正面玄関へと向かう。
中村は毎日、古い練習場から戻ると泥だらけの練習着をスタジアムの更衣室で着替え、駐車場の車へと向かった。取材するために扉の前で凍えながら彼を待った日々がよみがえる。
正面玄関の前には近衛兵のようにまっすぐな姿勢のドアマンが立っていた。目的はクラブの品格を見せることと、セキュリティの確保。中村がいた頃にここを守っていた白髪の老人の姿はなかった。役目を終え退役したのかもしれない。
レンガ壁の横を通りぬけ、緑の枠のドアへと近づいていった。
やってきた日本人 ――05年夏
当時の入団会見の様子。27歳の夏、彼は後に何度も沸かせることになるスタジアムに初めて足を踏み入れた
開かれたドアを通り、中村が拍手を浴びながらセルティック・パークの中に入っていった。
外には詰め掛けたファンがいる。27歳の夏、彼は後に何度も沸かせることになるスタジアムに初めて足を踏み入れた。
セルティックの入団会見が厳粛に行われようとしていた。表情の奥には喜びと不安が入り混じる。中村は決意を語った。
「セルティックは優勝を狙う位置に毎年いる。自分が入って順位が低くなるのは嫌。セリエAでもレッジーナを3年連続で残留させて使命は果たしたつもり。ここでも去年以上の成績を残したい」
2強天下のスコットランドにおいて、去年以上の成績とはつまり優勝のことだ。中村なりの謙虚さなのだろう。
会見の途中、ある記者が聞いた。
スコットランドの印象は?
中村は考え、ジェスチャーでバグパイプとスコティッシュダンスの真似をする。険しい顔をしたタブロイド記者連中の顔が和らいだ。
ストラカン監督は嬉しそうだった。
「私は美しいサッカーが好きだ。中村にはサッカーを楽しめとだけ言いたい。フリーキック? それがなければ契約などしていない」
数日後のリーグデビュー戦、中村はトップ下の位置で自由自在にプレーした。その左足に観衆が魅了されるのに時間はかからなかった。飴細工のように洗練された技巧は、タックルと闘争心の国で際立った。
「ここはスタジアムも大きいしファンの目も肥えている。普通のプレーでは満足してもらえない。いいプレーをしてファンと監督に認めてもらえるように頑張りたい」
ファンの喝采が飛ぶ。1年後、彼が特別な夜をもたらすことを人々はまだ知らなかった。
セルティック・パークの受付の女性は、ようこそ、と笑顔で迎えてくれた。
「ナカムラの足跡ね。いいものがあるわ。スタジアムの北側へ向かって、上を向いてごらんなさい。そこに彼がいるから」
彼女は紙を取り出し、その場所を丁寧に書き込んで教えてくれた。スコットランド人の大半は優しく丁寧だ。
「誰も忘れてはいない。なんといっても、彼はレジェンドだから」
教えてもらった通りにスタジアムを回る。ロンドン・ロードの向こう側、かつては水たまりばかりの荒涼とした空き地に、いまではモダンなアリーナが建てられていた。
北側に行き顔を上げると、そこには大きな白黒の写真の数々がスタジアムの外壁を覆っていた。
セルティックの歴史を彩る、たくさんの選手たちだ。ジミー・ジョンストン、トミー・バーンズ。ヘンリク・ラーションがいる。
下にはこう書いてある。
レジェンドが生まれるところ。Where legends are made
一番右側に、いまにもボールを蹴ろうとする中村の姿があった。多くの歴代選手の中でフリーキックを蹴っているのは彼だけだ。
人々の頭に強く残っているのは、やはりその左足のキックなのだろう。
あたりをいろんな人が通っていく。散歩する老人。ジャージを着た若者。チケットを買いに来た親子連れ。
中村のことなど知らない小さな男の子を連れた父親がいる。この場所で生まれ、受け継がれていくもの。
いつか彼は息子に教えるかもしれない。
昔、ナカムラっていう日本人がいてな、それはフリーキックがうまかったんだ――。
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【中村俊輔】ていうか通常とは違う戦いにも対応1293http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/soccer/1585963949/