【サッカー】<大久保嘉人>東京五輪世代について 「久保、堂安らのレベルは高いけど...」 「ただ、考えてサッカーをやれているか?」 [Egg★]http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1595509597/

1: Egg ★ 2020/07/23(木) 22:06:37.48 ID:CAP_USER9.net
オリンピック出場がサッカー人生に与えた影響第1回:2004年アテネ五輪・大久保嘉人(後編)
東京五輪世代について、大久保はどう見ているのだろうか。
「サッカー選手のレベルで言うと、久保(建英/マジョルカ)とか、堂安(律/PSV)とか、技術のある選手がそろっていて、かなり(レベルは)高いと思う。 ただ、考えてサッカーをやれているか? というと、どうかな。ずる賢さとかがないし、きれいにサッカーをしているだけって感じ。だから、昨年末に0−2で負けているけど、狡猾な南米のコロンビアとかが相手だと、どうしていいか、わからなくなる」
手厳しいが、五輪ではそうした世界の強豪と渡り合うことになる。しかも、それらを相手に結果を出さなければいけない。そのことを考えれば、大久保の指摘はもっともだ。
OA(オーバーエイジ)枠の使用についてはどうか。
「オレらの時は(小野)伸二さんが来てくれたけど、前の攻撃の選手としてはありがたかった。周囲が見えているし、絶対にパスが出てくるからね。
でも、伸二さんは大変だったと思う。すべてのメンバーについて、どんなプレーをするのか、どんな性格なのか、短期間で頭に入れないといけないし。年上だけど、結構気を遣っていたと思う。
それでも、メダルを獲るためには、OAの選手は絶対に必要だなって思う。もちろん、OAの選手が入ったからOKじゃなくて、そこでチームがどうするか、ということが重要。OAの選手に合わせるのか、(チームの)ベースとなってきたメンバーに合わせるのか。オレは、東京五輪のチームはベースとなる久保や堂安に合わせたほうが、うまくチームは回ると思っている。
みんなが、久保と堂安にボールを預けて、他の選手はふたりのためにサポートする。バルセロナの"メッシを生かす"みたいな戦い方。そのほうが、チームとして機能すると思う」
アテネ五輪では小野がOA枠で招集され、それまでベースとなってきた選手たちも皆、その"天才"を常に見てしまった。伸二さんが何とかしてくれる――チーム全体が小野依存となり、既存の選手たちの自主性が欠けてしまった。
その分、小野への負担が大きくなってしまったのだが、逆に自分たちが「小野を使う」くらいの気持ちでプレーしていれば、また違う結果になっていたのではないか......。大久保が既存のメンバーを重視するのは、当時の反省を踏まえてのことだろう。東京五輪世代は、すでに海外でプレーしている選手や、Jリーグでも所属クラブでレギュラーとしてプレーしている選手が多い。そのなかで、大久保がとくに期待している選手はいるのだろうか。
「久保と堂安だね。A代表を経験している選手として、その違いを見せてほしい。あと、コウキ(小川航基/ジュビロ磐田)。ジュビロで苦しんで、昨年は(期限付きで移籍した)水戸ホーリーホックでがんばって、点も取った。下手くそだけど(笑)、五輪代表に選ばれて、活躍してほしい」
7/22(水) 11:00配信 スポルティーバ 一部抜粋
https://news.yahoo.co.jp/articles/c12f11f8aa3ee8430c25e1805b10e168445c9b6e?page=1 2: 名無しさん@恐縮です 2020/07/23(木) 22:06:48.98 ID:PTd+YkDm0.net
◆大久保嘉人はリーガ・エスパニョーラに「喧嘩腰」で挑んだ>>
2004年のアテネ五輪、日本はグループリーグを1勝2敗とグループB最下位で終えて、決勝トーナメント進出を果たすことができなかった。大久保嘉人(当時セレッソ大阪。現在は東京ヴェルディ)は、個人としては3試合に出場し、2得点を記録した。とりわけ、グループリーグ最終戦のガーナ戦では、勝利につながる貴重なゴールをマーク。 難しいヘディングシュートでのゴールで、見ている者に強烈なインパクトを残した。その結果、アテネ五輪が終わったあと、大久保のところに海外からのオファーが届いたのである。
「アテネ五輪から戻ってきて、『さあ、これからが大事だな』って思っていた。それによって、自分が変わると思っていたので、早く海外に行きたいと思っていた。 そうしたら最初、ドイツ(のクラブ)からオファーが届いた。う〜ん......って感じで考えていたら、次にマジョルカからオファーが来た。(希望していた)スペイン(のクラブ)だし、『すぐに行く』って返事をしたね。
これらのオファーが来たのは、間違いなくアテネ五輪でゴールを挙げたからでしょ。あの2ゴールにおかげで、自分の思うとおりに道が拓けていった。五輪という大会の大きさ、そしてそこで活躍することの重要性がわかるよね。
だから、五輪(という舞台)は、アピールしないといけない場やと思う」
2004年11月、マジョルカへの期限付き移籍が決定した大久保は、翌年1月にスペイントップリーグでのデビューを果たす。その後、負傷で戦列を離れることになったが、翌2005−2006シーズンもマジョルカでプレーした。しかし、先発での出場機会はほとんどなかった。大久保は、ある問題に直面していた。
「言葉の壁。スペインに行く前は『(どこであろうと)サッカーなんだから、なんとかなるやろ』って思っていたけど、甘かった。スペインに行って、語学学校とかに通っていれば、4カ月ぐらいで相手が言っていることは、耳に入ってくるようになるし、単語もわかる。 でも(自分からは)言葉が出てこない。会話ができない。
サッカーでは(周囲に)要求するし、(周囲から)要求される。監督からの指示や戦術面での細かい話もある。試合に出られなくなった時、監督から『おまえは、技術的には試合に出てもおかしくないけど、コミュニケーションに問題があって、その辺のバランスからベンチにいる』と言われた。
その際、『そうじゃないだろ』とは思わなかったね。たしかに『そりゃ、そうだ』って、普通に思っていた」
大久保がアテネ五輪以降に描いていたプランは、スペインに行くまでは順調だった。だが、そこで思うような結果を残せず、目標のひとつだった2006年ドイツW杯出場は叶わなかった。そして、2005−2006シーズン終了後、セレッソ大阪に復帰した。それでもその後、ヴィッセル神戸で活躍し、再び海外へ。わずか1シーズン(2008−2009シーズン)限りだったが、ドイツのヴォルフスブルクでプレーした。さらに、2010年南アフリカW杯では、日本代表の主力として奮闘。日本のベスト16入りに貢献した。
以降、神戸、川崎フロンターレ、FC東京、ジュビロ磐田でプレー。川崎時代には、3年連続得点王に輝いた。現在は、今季完全移籍した東京ヴェルディに在籍。国見高の先輩、永井秀樹監督のもと、チームのJ1昇格に力を注いでいる。
posted by カルチョまとめ管理人 at 00:30
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